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【11月17日(土)開催】第23回死生学カフェのご案内(2018-11-08)

 11月17日(土)15:00〜18:00(受付14:30〜)、スノドカフェ七間町(北ワシントンホテルプラザ向かい)を会場に第23回死生学カフェを開催いたします。

テーマ: 生きる「意味」?

開催日・・・2018年11月17日(土)
時 間・・・15:00〜18:00(受付14:30〜)
場 所・・・スノドカフェ七間町:静岡市葵区七間町7-8
参加費・・・学生500円/一般1,000円(フリードリンク、お菓子付)
申し込み・・・不要

 今回のテーマを見て、「これって、哲学カフェのテーマじゃないの?」と思われる方もおられるかもしれません。大丈夫です、間違いありません。これは死生学カフェのテーマです。

 このテーマは、ある小児救急医の問題提起に基づいています。小児救急の現場で働く彼は、医師として救命できなかったいのちと向き合い続けています。そしてその立脚点から、死生学カフェの対話にある種の違和感を覚えるといいます。カフェの参加者たちはしばしば、これまでの社会生活を通してなんらかの業績を積んできたことに、自分の生命や生き方を受け継ぐ者に恵まれたことに、充実した体験を味わえたことなどに、自分が生きた「意味」を見出すからです。このように生きる「意味」が各人の所業に求められるとしたら、わずか数日で亡くなる子について、いったいどのように生きる/生きた「意味」を語ることができるでしょうか。

 わずか数日で亡くなる子について、生きる/生きた「意味」を語ることは、難しいように思います。ではその難しさは、なにに由来するのでしょうか。数日の生命が数週間、数カ月、さらに数年に延びたら、その子の生きる/生きた「意味」を語れるようになるのでしょうか。つまり、ここで問題になっているのは生命の時間的な長さなのでしょうか。

 重度障害を抱える方の場合はどうでしょう。かりにその方がだれかの世話になって一生を送らねばならないとしましょう。その場合、その人の生きる「意味」について他の人が判断することは、暴力的なニュアンスを帯びるように思います。自分で物事を決める(自己決定する)ことが難しい人の場合も、同様ではないでしょうか。

 それはどうしてなのでしょうか。生きる「意味」について、そもそも他者が判断を下すことが間違っているのでしょうか。かりに他者の生きる「意味」について語ることができないとしたら、つまり人は自分の生きる「意味」についてしか語れないとしたら、私たちは生きる「意味」をめぐって対話することもできなくなってしまうのではないでしょうか。

 二つの場合について考えてみただけでも、生きる「意味」について語る難しさが浮かび上がってきます。あなたはあなた自身が、また他者が生きる「意味」についてどう考えますか。いたずらに空中戦に走るのでなく、けれども一歩立ち止まって、じっくり対話を試みましょう。あなたの経験や実感に根ざした言葉を聞かせてください。いつものスノドカフェでお待ちしています。

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